【土方歳三と君菊】実在した愛人:生涯独身だった歳三の子供を産んだ唯一の女性



実在した土方歳三の愛人:君菊

新選組副長・土方歳三が京都で出会った女性に君菊という人物がいます。この二人の関係は、NHKの番組「土方のスマホ」で描かれ、多くの人々の興味を引くきっかけとなりました。

しかし、この番組での描写は史実に基づいているのでしょうか?

もしそうであれば、土方と君菊はどのような関係だったのか、そしてその後二人はどうなったのか。この記事では、その謎を解き明かします。

君菊:舞妓から愛人へ

君菊は京都の花街・北野上七軒で舞妓として働いていたと言われています。舞妓とは芸妓になる前の見習いであり、歌や踊りで客を楽しむ十代の少女たちのことを指します。

土方歳三が1863年に故郷に送った手紙によれば、君菊は彼にとって特別な存在であったことが伺えます。

土方の手紙:多摩の親友への告白

イケメンでモテ男だった土方が、故郷の友人である小島鹿之助に送った手紙には、君菊以外にも多くの女性が名前を連ねていたそうです。

しかし、土方にとって君菊は特に大切な存在だったようで、土方が京都で過ごした時間の中で、彼女とは深い関係になったとされています。

唯一の子供

土方歳三は生涯独身であり、君菊との間に生まれた子供は土方にとって唯一の子供だったそうです。しかし、その子供は幼くして亡くなってしまい、君菊自身も後に土方以外の男性と結婚しています。

君菊のその後:明治時代の記録

土方の義兄である佐藤彦五郎の子の「俊宣」が、明治22年に京都を訪れた際に君菊の消息を調査したそうです。調査の結果、君菊は明治18年に亡くなっていたことが判明しています。

以下は俊宣の日記に記されていたものです。(※君鶴は誤字だとされています)

「土方歳三の愛妾を探る。北野天神東門外上七軒町の歌妓、君鶴といいし者、その後、人に嫁しすでに四年前死去せりと聞知す」(「籬蔭史話」)

彼女が亡くなった原因は不明とされており、年齢も35代後半ぐらいと定かではありません。

土方と君菊:運命の愛をどう思うか

土方歳三と君菊の関係は、幕末という激動の時代に生まれた短くも深い愛があったことでしょう。

君菊は土方と過ごした日々をどのように思っていたのかは私たちは知る由もありませんが、土方歳三の子を産んだ唯一の女性として、幕末の歴史において特別な一ページとなっています。

総括:土方歳三と君菊

NHKの「土方のスマホ」で取り上げられた土方歳三と君菊の関係は、調べたところ実は事実に基づいていた話でした。君菊は舞妓として京都で土方と出会い、二人は深い関係になったのです。

しかし、動乱の世に生まれたその愛は短く、君菊は土方以外の男性と結婚し、土方もまた函館で戦死。それでもこの二人の愛は、これからも多くの人々に感動を与えていくことでしょう。

この記事を通じて「土方歳三と君菊」、そして幕末の愛と運命について少しでも深く知ることができたなら幸いです。

たびノート📔~幕末~

柴隊士
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