近藤勇の愛刀【虎徹】は本物?偽物?池田屋事件を交えて考察



幕末の京都は、尊攘派と佐幕派が激しく対立する舞台でした。その中で、京都守護職・松平容保の指揮下にあった新選組は、都市の治安を維持する役割を果たしていました。

特に、この記事では新選組の活躍の中で最も有名な「池田屋事件」に焦点を当て、局長・近藤勇が使用したとされる名刀「虎徹」についても詳しく探ります。

池田屋事件:新選組の名を高めた一夜

1864年6月5日、新選組は尊攘派の宮部鼎蔵が潜伏しているとされる場所を突き止め、その情報源である桝屋喜左衛門(本名:古高俊太郎)を拘束しました。

拷問によって得られた情報により、新選組は池田屋か四国屋で宮部らが会合することを知り、急遽出動を決定。

しかし、会津藩からの援軍が遅れたため、近藤勇は自ら決断を下し、池田屋への急襲を敢行しました。

虎徹:近藤勇の手にあった伝説の刀

この事件で近藤勇が使用したとされる刀は、武蔵国の名工・長曽祢虎徹(ながそねこてつ)によるものと言われています。

この刀は「最上大業物」に格付けされるほどの斬れ味を持っていたとされ、多くの偽物が出回るほど有名でした。

近藤がこの刀をどのように手に入れたのかは諸説ありますが、一説によれば、江戸の刀剣商から購入したとも言われています。

真実か偽物か:近藤勇の虎徹についての議論

近藤が持っていた虎徹が真作か贋作かについては長らく議論が続いています。

一つの説としては、近藤の身分では高価な虎徹を購入することは不可能だったとも指摘されています。しかし、近年では真作であった可能性が高いとの見解も出ています。

池田屋事件の影響:新選組の盛衰と幕末の動乱

池田屋事件は新選組に一躍名を馳せる事件となりましたが、その後の動きは順調とは言えませんでした。

孝明天皇の崩御後、討幕運動が広がり、新選組は次第に力を失っていきました。最終的には戊辰戦争で敗れ、近藤勇自身も斬首される運命を辿りました。

結論:近藤勇の虎徹は本物か偽物か

近藤勇が使用したとされる虎徹の真偽は今も明らかではありませんが、その刀が持つ伝説と新選組の活躍は、日本の歴史において色濃く刻まれています。

池田屋事件は新選組の名を高めた一方で、幕府の崩壊を早める一因ともなったと言えるでしょう。

このように、歴史は事実と神話、そしてその解釈によって構築されています。近藤勇と虎徹の話は、その複雑な歴史の一部であり、今後も多くの研究と議論が続くことでしょう。

たびノート📔~幕末~

柴隊士
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