【土方歳三の子供の頃】鬼副長と呼ばれた男の少年時代の意外な一面



新選組の鬼副長の少年時代

新選組は、幕末の京都で治安維持の任に当たっていた特別な部隊であり、その副長として名を馳せた土方歳三は、多くの人々に「鬼の副長」として恐れられました。

しかし、この厳格な男もかつては子供であり、その少年時代には意外な一面があったのです。

野生児から剣豪へ:「バラガキ」の異名

土方歳三は、1835年に現在の東京都日野市に位置する石田村の農家に生まれました。父親は早くに亡くなり、母親も6歳の時に亡くなったため、兄の妻によって育てられました。

少年時代の歳三は、武人に憧れて体を鍛え、その活発な性格から「バラガキ」というあだ名がつけられました。この名前は、彼が触れると怪我をするほどに荒々しいという意味があります。

頑固な性格:30キロ以上を歩いて帰る

歳三は11歳で、江戸上野の呉服店に奉公に出されました。しかし、店の番頭から軽く叩かれたことに怒り、そのまま家に帰ってしまいます。

この時、彼は約36キロもの距離を歩いて帰ったとされています。このエピソードからも、歳三の頑固で負けん気の強い性格が伺えます。

恋愛問題と新たな人生のステージ

17歳になった歳三は、再び呉服店で働き始めますが、今度は恋愛問題で店を去ることになります。この頃から、歳三は女性に対しても魅力的な存在であったとされています。

実際、新選組での活動中には、「モテすぎて表現できない」と自ら手紙で書いています。

剣術と薬売り:二足のわらじ

歳三が本格的に剣術に打ち込むようになったのは、地元に戻ってからです。彼は天然理念流の門下生となり、その後新選組の局長となる近藤勇と出会います。

しかし、生計を立てるためには働かなければならず、家で作っていた薬を売り歩きました。この薬は、打ち身や切り傷に効果があったとされています。

武人への夢を叶える

歳三は、新選組に参加することで、ついに自分が目指していた武人としての地位を手に入れました。厳格な規律と剣術の腕前で、多くの人々を敬服させ、その名は歴史に刻まれました。

土方歳三の少年時代:まとめ

土方歳三は、厳格な新選組の副長として名を馳せましたが、その背後には少年時代の自由な精神と、多くの困難を乗り越えてきた人生がありました。

このような多面的な人物像を知ることで、彼に対する理解が深まるでしょう。

たびノート📔~幕末~

柴隊士
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