【新選組最強の剣士・服部武雄】油小路の変における悲劇的な最期



新選組最強剣士:服部武雄

新選組は池田屋事件や禁門の変などで名を馳せた幕末の特別な部隊であり、近藤勇や土方歳三などの著名な剣士を輩出しています。

しかし、その影で活躍した多くの隊士たちが歴史の表舞台には登場していません。今回は、その中でも特に注目すべき隊士「服部武雄」に焦点を当ててみましょう。

播州赤穂藩出身の武術の達人

服部武雄(1832-1867)は播州赤穂藩の元藩士であり、その巨体と武術の腕前で知られていました。

新選組では武術のスキルが非常に重視され、隊士の選考でもその腕前が試されるのが一般的でした。服部もその例外ではありませんでした。

尊王攘夷の誓いと新選組への加入

文久3年(1863)、服部は江戸で篠原泰之進、加納道之助らと「尊王攘夷」の誓いを立てました。そして、元治元年(1864)10月には伊東甲子太郎と共に新選組に参加。

服部は慶応2年(1866)に発生した「三条高札事件」でも活躍し、その功績により賞金を受け取っています。

役職と責任

服部の役職は「諸士調役兼監察」とされており、これは新選組内での非常に重要な役割を担っていたことを示しています。

新選組からの離反と高台寺党

慶応3年(1867)には伊東甲子太郎らとともに新選組を離れ「禁裏御陵衛士」として尊王攘夷の活動を展開。

これが「高台寺党」とも呼ばれる一派でした。服部もこの動きに賛同し、新選組を脱退しました。

油小路の暗殺事件と最後の戦い

近藤勇と土方歳三はこの離反に激怒し、伊東甲子太郎を暗殺しました。服部は新選組の戦術をよく理解していたため、仲間に防具を着用するよう警告しました。

しかし、最終的には服部のみが鎖帷子を着用し、新選組との最後の戦いに臨みました。

獅子奮迅の活躍と最期

服部はその大太刀で新選組の隊士に多くの傷を負わせましたが、最終的には原田左之助の槍によって命を落としました。

彼の生涯は35年と短かったものの、その信念に従い多くの戦いでその名を轟かせました。

新選組最強剣士:服部武雄:まとめ

服部武雄は新選組の中でも特に注目すべき一人であり、その活躍と最期は今日でも多くの人々に感銘を与えています。

新選組の歴史を語る上で、彼のような「影の英雄」も忘れてはならない存在であると言えるでしょう。

このように、新選組には近藤勇や土方歳三といった有名な隊士だけでなく、服部武雄のような知られざる英雄も多く存在していました。

彼らの活躍が新選組の歴史をより深く理解する鍵となるでしょう。

たびノート📔~幕末~

柴隊士
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