【幕末を生き抜いた島田魁】新選組の巨漢隊士の波乱の人生



幕末を生き抜いた新選組:島田魁

新選組は、池田屋事件や禁門の変などで有名な幕末の特別な部隊です。近藤勇や土方歳三といった名高い隊士たちが多く語られる一方で、多くの隊士が名もなく命を落としています。

この記事では、その中でも特に注目すべき「島田魁」に焦点を当て、彼の生涯と業績について探ります。

島田魁:美濃国出身の巨漢

島田魁(1828-1900)は、美濃国(現在の岐阜県)の大垣藩士の家に生まれました。身長約180センチ、体重約150キロという驚異的な体格を持っており、新選組でもトップクラスの巨漢でした。

近藤勇が164センチであったことを考慮すると、島田の体格の特異性がよくわかります。

入隊の背景:武道との縁

島田は、大坂で種田流槍術を学び、その後、頓所(現在の滋賀県大津市)で永倉新八と再会。永倉から新選組への参加を勧められ、36歳で入隊しました。

この時点で新選組は、まだ「壬生浪士組」と呼ばれていた初期の段階でした。

諜報活動と戦闘力

島田は、地理に詳しいことから新選組の諜報員としても活躍。文久3年7月には、大坂で尊攘派の浪士と乱闘になった際、島田が最初に相手を投げ飛ばしました。

池田屋事件では、土方歳三と共に遅れて到着したものの、その戦闘力は目立っていました。

鳥羽・伏見の戦いとその後

島田は、鳥羽・伏見の戦いでも活躍。永倉新八が武装の重さで土塀をよじ登れなくなった際、島田は怪力で永倉を救出しました。

新選組が江戸に撤退した後、島田は近藤勇らと「甲陽鎮撫隊」に参加。箱館戦争では、副小隊長としても活躍しました。

幟(のぼり)との特別な関係

島田は、新選組の幟に「東照大権現」と書かれたものを身に巻いて戦いました。この幟は、島田が銃創を負った箱館の戦いでも彼の身体に巻き付けられていました。

晩年と遺産

明治6年(1873年)には、尾張・名古屋藩にお預けとなり、後に自由となった島田は美濃に戻りました。剣道道場を開き、西本願寺の夜警も務め、72歳でこの世を去りました。

島田魁の波乱の人生:まとめ

島田魁は、新選組の中でも特に多才で多面的な隊士でした。彼の生涯は、新選組の歴史においても非常に重要なものであり、今後も多くの研究が待たれます。

このように、島田魁は新選組の中でも特異な存在であり、その多才なスキルと人生経験は、今日でも多くの人々に影響を与えています。

たびノート📔~幕末~

柴隊士
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