浅葱色のダンダラ羽織の真実

新選組の隊服と言えば、浅葱色のダンダラ羽織が有名ですね。
「浅葱色のダンダラ羽織=新選組」と言ってもよい程にその印象は強く、アニメや映画でも必ず使われています。
今や新選組の”トレードマーク”となっています。
しかし実際にこのダンダラ羽織が隊内で使用された期間はとても短く、着用されていたのはとても僅かな期間だった事がわかっています。
ダンダラ羽織の誕生
新選組が結成して間もない文久3年4月に、土方歳三が京都の大丸呉服店に発注をして「麻の羽織」が作製されました。
この時に作製されたのが浅葱色の羽織になります。
ダンダラ模様は「忠臣蔵の赤穂浪士」の装束を流用してデザインされたものです。
羽織は現存しておらず、写真も残っていない
白い山形(ダンダラ)が袖だけに入っていたのか、裾だけだったのか、また袖と裾の両方に入っていたのか、今だ正確にはわかっていません。
しかし近年最も有力となっているのが、ダンダラ模様は「裾には無く、袖だけにある」です。
なので、八木為三郎の証言は少年期の記憶違いと言う事になります。
隊内の評判が悪かった
ダンダラ羽織が最後に目撃された記録が残っているのは、何と「池田屋事件」の時が最後なのです。
池田屋事件が最後だったとすると、隊服となってから僅か「1年程」で廃止になってしまったことになります。


以上の理由などにより、徐々に着用する隊士は減っていき、最後には誰も着なくなったそうです。
当時の新選組は資金に余裕もなく、人数分の隊服を用意するとなると良い生地のものは買えなかったのでしょう。
では何故、最後に目撃されたのが池田屋事件の時なのかという話になりますね。
これは、池田屋での激闘を終えて大手柄を立てた出動隊が屯所に帰還する際に、屯所で留守番役となった隊士が敬意を払う意味で出動した隊士達を羽織を着て出迎えたと言われています。
この時に屯所前で目撃されたのが最後の記録として残っているわけです。
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