【谷三兄弟】新選組での栄光と謎に包まれた終焉



序章:新選組の影の英雄たち

新選組は、池田屋事件や禁門の変などで名を馳せたが、近藤勇や土方歳三などの名高い隊士以外にも、多くの未詳な隊士がいた。

この記事では、その中でも特に注目すべき「谷三兄弟」に焦点を当て、彼らの生涯と活躍、そして謎に満ちた終焉について探る。

背景:三兄弟の出自と流浪の日々

谷三十郎は、備中・松山藩士として生まれ、父・三治郎から武術を受け継いだ。しかし、次弟・万太郎の女性問題が原因で家名が断たれ、末弟・周平と共に浪人となった。

三兄弟は大坂に移住し、道場を開いて生計を立てた。

新選組への加入とその影響

三兄弟は文久3年(1863年)頃に新選組に参加したとされる。特に、池田屋事件での活躍が文献から確認できる。

万太郎は、原田左之助に種田流槍術を教えたとも言われ、それが加入のきっかけだった可能性もある。

昇進と功績:谷三兄弟の新選組での地位

三十郎は新選組内で昇進し、7番組組長になった。末弟・周平は、近藤勇にその才能を見出され、養子として迎えられた。

三兄弟は大坂に道場を維持しながら、新選組の大坂分署のような役割も果たした。

大坂での功績とその影

慶応元年(1865年)、三十郎は大坂で尊攘派の陰謀を阻止。しかし、この功績にもかかわらず、三兄弟は隊内での評価が低かった。

特に三十郎は、ある隊士の切腹の介錯を失敗し、その後の評価がさらに下がった。

謎の死とその後

慶応2年、三十郎の死体が祇園石段下で発見された。死因には諸説あり、真相は不明。

万太郎の消息も不明で、周平は後に養子縁組が解消された。

結論:新選組の一員としての谷三兄弟

谷三兄弟は新選組で一時は輝いたものの、その後は謎と不運に包まれた。彼らの物語は、新選組の多面性と複雑な人間関係を象徴している。

新選組には近藤勇や土方歳三などの名隊士がいたが、谷三兄弟のような「影の英雄」もまた、その歴史に深く刻まれているのである。

たびノート📔~幕末~

柴隊士
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