第1次 宇都宮攻城戦

慶応4年(1869年)4月19日の早朝。
旧幕府軍は桑名隊(先鋒)・伝習第一大隊(中軍)・回天隊(後軍)の3部隊に分かれて宇都宮城へ進軍を開始します。
土方歳三は桑名隊を率いており、簗瀬橋から下河原門へ。会津藩士・秋月登之助を隊長とする伝習第一大隊は北方の中河原門と今小路を攻略し、後軍の回天隊は城南から南館門へとそれぞれ進軍しました。
早朝から始まった戦いは午後5時頃まで続き、ついに土方歳三らが下河原門を突破し城内に突入します。
宇都宮城の守備隊は火を放って退却し、旧幕府軍の勝利となったのです。
第2次 宇都宮攻城戦

旧幕府軍の勝利で終わった4月19日の戦いから僅か4日後、4月23日午前9時頃に新政府軍は宇都宮城への攻撃を開始します。
新政府軍の集中攻撃を受けた旧幕府軍は次第に劣勢となって、夕方頃ついに宇都宮城を捨てて今市方面へ敗走します。
第2次宇都宮城の戦いはこうして新政府軍の勝利となりました。
この戦いの途中で土方歳三は右足指に、秋月登之助は腹部に銃弾を受けて共に戦線を離脱。
日光にある今市宿まで護送されます。
城址公園として整備

戊辰戦争でほぼ焼失し、その後は都市開発が行われ市街地となっていったため徐々に残っていた内堀は埋められていきました。
遺構は殆ど残っていませんが、平成19年(2007年)に一部の土塁・櫓が復元され、城址公園として整備されました。
アクセス
住所:栃木県宇都宮市本丸町旭1丁目
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