近江屋跡
京都府京都市中京区にある「近江屋跡」に行ってきました。
近江屋跡地は「旅行代理店・サークルK」などを経て、2018年現在は「かっぱ寿司」となっています。
近江屋事件
言わずと知れた坂本龍馬が暗殺された場所です。
龍馬が提案した「薩長同盟」がなり、次いで同じく龍馬が考えた「大政奉還」により、徳川慶喜は朝廷に政権を返上しました。
大政奉還から一か月後、龍馬と盟友の中岡慎太郎の二人が近江屋で襲撃されました。
国内で大事を成し遂げ、これからは「世界を相手に商売をする」という夢に向かって行くはずでした。
大政奉還後の京都は以前にも増して「無法地帯」と化し、治安が悪くなっていたために土佐藩底から近い、近江屋に身を寄せた矢先の出来事でした。
新選組犯人説
坂本龍馬暗殺は当初、新選組の犯行であるとされてきました。
原田左之助説
瀕死の状態だった中岡慎太郎が「こなくそ!」と言う言葉を聞いたということから、伊予出身である原田左之助が犯人と疑われたことがあったが、これは事実ではないとされる。
大河ドラマ新選組!では、新選組が龍馬を救出するために近江屋へ向かったが、一足遅く救うことが出来なかったために左之助が「こなくそ!」と発言する形で描かれています。
斎藤一説
龍馬は剣術でも相当な実力者だったので、新選組の斎藤一では?とされる説もあります。
近江屋へ龍馬を訪ねてきた斎藤が、刀を右側へ置いたため刀を抜く意思はないと龍馬は油断したのです。
しかし、龍馬は斎藤が左利きであったことを知らずに油断した結果、斬られてしまったとされるのがこのお話です。
見廻組犯人説
現在では一番有力視されているのが、見廻組説です。
佐々木只三郎説
見廻組の与頭である「佐々木只三郎」が実行犯であるとされる説があります。
これは戊辰戦争終結後に、見廻組の隊士であった「今井信郎」が坂本龍馬を暗殺したのは見廻組だとし、実行犯は佐々木の他数名であると証言したため。
ところが約30年後に今井は再びこの件に関して証言しますが、実行犯から佐々木の名前は消えており、今井自身と他数名が実行犯であると証言が変わっている。
今井の証言からさらに約10年後には「渡辺篤」という元見廻組だった人物が、坂本龍馬を暗殺したのは見廻組だと証言します。
実行犯は自分と今井、他数名だと証言するが、今井と渡辺の証言には実行犯の他にも食い違う点が多い。
なお、渡辺篤の証言には佐々木只三郎の名は出てこない。
説が多過ぎる説
新選組や見廻組の他にも沢山の犯人説が存在します。
- 西郷隆盛らによる薩摩藩説
- 紀州藩説
- フリーメイソンによる海外説
などなど。
更には実は暗殺の対象は龍馬ではなく「中岡慎太郎」であり、一緒に居た龍馬は巻き添えを食っただけだったなどの説まである。
近江屋跡へのアクセス
- 住所:京都府京都市中京区塩屋町(河原町通)