【上野公園】上野戦争で戦った西郷隆盛と彰義隊の像と墓



上野公園にある西郷隆盛像と彰義隊の墓

東京都台東区にある「上野公園」に行ってきました。
広大な敷地の中には上野動物園があり、パンダを見に来る人達で非常に賑わっていました。

そんな上野公園ですが、慶応4年(1868年)に戊辰戦争の一つである「上野戦争」の激戦地となった場所です。
薩長の新政府軍と、彰義隊の旧幕府軍がこの地で戦いました。

結果は最新の「スナイドル銃」や「アームストロング砲」を駆使する新政府軍が、彰義隊をほぼ全滅させるほどの一方的な結果となりました。

午前7時に開戦し、午後17時には終結



彰義隊に参加した原田左之助

また、彰義隊には永倉新八と共に新選組を脱退した「原田左之助」が加わっていました。
原田左之助については沖田総司などと同様に史実がどうであったのかがよく分かっていない人物の一人です。

甲州勝沼の戦いの後、原田は永倉と共に新選組を脱退します。
土方率いる旧幕府軍が宇都宮城で戦っている頃、永倉率いる靖共隊は別動隊として壬生城で戦っていました。

しかし、既に原田は靖共隊を抜けており江戸へ引き返しています。
原田が靖共隊を抜けた理由や、正確な時期は不明です。

後に永倉はこの件について「残してきた妻の”まさ”と離れるのが恋しくなったのだろう」などと語っている

これも説の一つですが、新政府軍に捕らえられていた「近藤勇を救出」するためだったとも言われています。

また、彰義隊に加わったのが上野戦争の直前だったために、原田の名は彰義隊の名簿には載っていません。

さらに、上野戦争で負った怪我により2日後に亡くなったとされていますが、生き延びて「満州」へ渡り馬賊になったなんて説もあります。

なんでも日露戦争の頃に松山で「ワシは原田左之助だ」と名乗る「老人」がいたらしいです。
その後、満州へ帰ると言って去っていったとか。

上野公園に建つ西郷隆盛像

彰義隊の墓

なお、荒川区にある「円通寺」にも彰義隊の墓があり、寛永寺にあった「黒門」が現存しています。
黒門に残る無数の銃弾痕が戦いの壮絶さを物語っています。

円通寺にある「黒門」

上野公園・円通寺へのアクセス

  • 住所:東京都台東区上野公園1

  • 住所:東京都荒川区南千住1-59-11

たびノート📔~幕末~

柴隊士
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