西郷隆盛

文政10年(1827年)鹿児島城下に生まれる。
薩摩藩主・島津斉彬に抜擢された西郷は一橋慶喜(のちの徳川慶喜)擁立に奔走します。
しかし島津斉彬が急死すると、その跡を継いだ国父・島津久光に疎まれて失脚します。その後、大久保利通らの後押しにより復帰し禁門の変などで活躍します。
1866年、薩摩藩が公武合体から反幕へと傾く中、坂本龍馬の仲立ちで薩長同盟を結び、倒幕へと舵を切ります。
1867年10月に大政奉還・同年12月に王政復古の大号令と、その勢いで新政府を樹立。旧幕府軍との戊辰戦争では、東征大総督府参謀となる。
江戸総攻撃の直前に勝海舟と会談し、1868年4月江戸城無血開城を成功させる。
戊辰戦争終結後、明治政府では廃藩置県などに尽力するが、征韓論に敗れて失脚。
その後、鹿児島に戻って私学校などを創設して暮らしていたが、明治10年(1877年)私学校生徒が起こした暴動で不平士族に祭り上げられ挙兵し、西南戦争を起こす。
鹿児島城山での戦いで自刃。享年51歳。
西郷隆盛ゆかりの地
鹿児島市
- 私学校跡
西郷隆盛が建てた私学校の跡。鹿児島市内だけで10以上、県下には136の分校ができた。
石堀には西南戦争時に政府軍からの受けた砲弾の跡が残る。
- 異人館
島津忠義が建設を計画した紡績所。
西南戦争の際に西郷軍の仮病院となり負傷兵を収容した。
- 西郷洞窟跡
西南戦争で政府軍の攻撃が激化し、岩崎谷に洞窟を掘って本陣とした。
- 西郷隆盛銅像
市立美術館横に立つ西郷像。1937年に除幕。完成に8年かけた銅像は高さ8m。
帽子とサーベルを持っており陸軍大将の装いをしている。
- 西郷南洲顕彰館
西郷隆盛の資料館。
少年期から西南戦争までの生い立ちをめぐることができる。
- 南洲墓地
西南戦争で戦死した西郷軍の人々が眠る墓地。
その正面に西郷隆盛の墓がある。
- 西郷隆盛・従道誕生の地
加治屋町の一角にある石碑。
西郷隆盛と弟の従道誕生の地。
東京都
- 西郷隆盛・勝海舟 会見の地
薩摩藩蔵屋敷跡にある碑。(書は西郷の孫吉之助)
現在は三菱自動車工業の本社ビルがある。
- 西郷隆盛銅像
上野公園に立つ西郷隆盛の銅像。
戊辰戦争で西郷が彰義隊と戦った場所。
西郷隆盛 最後の言葉
幕末を駆け抜けた西郷隆盛「最期の言葉」です。
【晋どん、もう ここでよか】
不本意ながらも挙兵して勃発した西南戦争。
その最後の決戦地となった城山の戦いで、西郷は腹と股に銃弾を受けます。
西郷は「もうここでよか」と言って東の皇居に向けて拝礼し自刃しました。