【蛤御門】当時の弾痕が今も残る!禁門の変で修羅場と化した場所



禁門の変で修羅場と化した蛤御門

京都府京都市にある「蛤御門」に行ってきました。

上の写真は京都御苑側から見た蛤御門です。

元治元年7月19日に起こった「禁門の変」にて、幕府側の会津藩が守る蛤御門に長州勢が攻め込み、この辺りは修羅場と化しました。

禁門の変は「蛤御門の変」とも呼ばれる

その後、薩摩藩の援軍が加わり、長州はリーダー格の来島又兵衛が戦死して総崩れ。

結果は幕府側の勝利となりました。



門には当時の弾痕が残る

蛤御門には、禁門の変で付いたとされる「弾痕」が今でも残っており、当時の激戦に思いを馳せることができます。

※何故か弾痕跡の写真を撮り忘れてしまいました…。

芹沢鴨が門前払い?

禁門の変の前年、文久3年に起きた「八月十八日の政変」では、御所の警備の為に出動した浪士組が御所内に入ろうとした時、蛤御門を警備していた会津藩に「不審者」と間違われて両者が一触即発となる事態が起こりました。

この当時はまだ新選組となる前で「壬生浪士組」や「誠忠浪士組」と名乗っていた頃でしたので、会津藩にも認知されていなかったのです。

結局は事情を知っている会津藩士が駆け付けて、何事もなく済みました。

会津兵は芹沢鴨の顔に槍を突きつけましたが、芹沢は全く怯まなかったそうです

蛤御門へのアクセス(地図)

  • 住所:京都府京都市上京区602-0881

たびノート📔~幕末~

柴隊士
『全国にはたくさんの観光名所があるので、こちらのページで確認してみてくださいね』

全国の”幕末・新選組”に関する観光スポットをご紹介【楽天たびノート】