高杉晋作が義弟に宛てた手紙が見つかる
幕末の志士、長州藩士の高杉晋作(1839~67年)手紙が発見されました。
今回発見された手紙は、禁門の変で敗れた後に亡命先の九州から長州の義弟に宛てた手紙であるとの事です。
これにより、高杉の亡命中の行動・心情が明らかになりました。
発見された手紙の詳細
1864(元治元)年11月14日に高杉晋作が「義弟の高杉百合三郎」宛てに書いた密書で、同年6月1日に久坂玄瑞が京都から藩政府に宛てた書簡と一緒に巻物にされているそうです。
発見者は、一坂太郎さん(52)。
萩博物館(山口県萩市)の特別学芸員の方です。
7年前に奈良県天理市にある「天理大付属天理図書館」の所蔵品から見つけたとの事。
なお、山口県周南市にある「マツノ書店」から昨年出版された「久坂玄瑞史料」に「高杉晋作史料」補遺として収めている。
潜伏中に執筆
一坂さんの話では、この手紙は11月10~20日頃に交流のあった女流歌人である「野村望東尼」の平尾山荘(福岡市)にて潜伏中の際に書かれたされています。
(晋作は、藩のために働きたいが幽囚される可能性があり「やむを得ず」脱走したと綴られている)
再起への決意
手紙には高杉が「九州で再起」を図っていることも以下の一文で伝えています。
「この節は筑藩(筑前藩)に潜居、天地の周旋致しおり候。いずれ一死地を得たく、望みおり候」
また、脱走前には百合三郎に刀剣武具の調達を依頼しており、それを藩士に届けるよう指示しています。
妻マサと息子へ
手紙には妻マサへの伝言も記されています。
10月5日に生まれたばかりの長男梅之進(後の東一)を「勤王の士」に育ててほしいと記した。
一坂さんは「亡命先の九州から発した手紙は一通も確認されていなかった。捲土(けんど)重来を期す心情が伝わってくる」と述べた。
また、明治維新史に詳しい佛教大教授の青山忠正氏(68)は「晋作伝を書く時、筑前亡命は空白だった。亡命中の具体的行動を知る手掛かりになる」と今回の手紙の発見を評した。