【大久保利通】明治政府で活躍するも、最後は盟友・西郷隆盛と袂を分かつ。

大久保利通

天保元年(1830年)鹿児島城下に生まれる。

島津斉彬に抜擢された西郷隆盛らとともに、藩政改革に尽力する。

斉彬の急死後、西郷は失脚。利通は免職されるも父がお由羅騒動に連座していたため、国父・島津久光に重用される。

討幕運動では西郷とともに活躍し、新政府成立後は「版籍奉還」・「廃藩置県」などに尽力する。

また明治4年(1871年)には岩倉具視らと欧米視察に行っている。欧米視察から帰国後に反征韓論を唱え、西郷と対立し袂を分かつ。

そして明治6年(1873年)の政変で西郷隆盛と板垣退助らを失脚させる。

その後、西郷が挙兵し西南戦争を起こすと、西郷と大久保は敵味方に分かれて戦うこととなる。

西郷が自刃し西南戦争は終結したが、その8か月後に不平士族によって紀尾井坂で暗殺される。

享年49歳。



大久保利通 銅像

1979年、大久保利通の功績をたたえて建てられた銅像。

場所は鹿児島県中央駅近く(鹿児島市西千石町1)にあるライオンズ広場。

利通誕生の地である加治屋町の方向を向いて建てられており、高さは4.3mもある。





たびノート📔~幕末~

柴隊士
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